万葉集の作者(編者)は大伴家持!葛藤を不屈の精神で乗り越えた

【令和】の出典となった万葉集!
いわずとしれた、日本最古の和歌集ですね。

今回は、その作者である大伴家持(おおとものやかもち)の人柄や生涯について紹介します。
出世に悩み、一家の長として葛藤しながらも、それらをバネに才能を開花させた、不屈の精神の持ち主です。

 

万葉集の作者(撰者)は大伴家持

万葉集の作者(編者)は『大伴家持』という人です。

読み方はふつうに読んだら『おおばんいえもち』ですが、正しくは『おおとものやかもち』です。
お名前が『家持』ですから、いかにもお金持ちなにおいがしますね。w

 

ですが、実際には家柄が原因で出世が停滞するなど、決して恵まれていたわけではなかったようです。

 

大伴家持(おおとものやかもち)は不屈の精神の持ち主。

大伴家持(おおとものやかもち)は貴族である大伴家の長男です。
貴族の中で家柄はそんなにいいわけではなかったようで、はじめは雑用係りからスタートし、途中で昇進停滞していた時期もありました。

藤原氏と橘氏の抗争に巻き込まれ、苦しい立場に立たされることもあったようです。
万葉集には家長としての責任感とあきらめの気持ち。
その間で揺れ動く気持ちが歌に込められています。

没後は、藤原種継暗殺事件に首謀者という汚名をきせられ、息子は島流しの刑に処せられます。
30年以上の年月の末、無罪であることが判明します。

 

大伴家持のプロフィール

生年月日:養老(ようろう)2年(718年)
:大伴旅人(おおとものたびと)、貴族。
:正妻ではなかった。育ての母は旅人の正妻である郎女(いらつめ)。

 

経歴とポジション官僚

はじめは中務省に配属され、天皇の雑役や警護をつとめる。
その後、少納言、国守などのポジションにつく。
順調に出世しているようで、停滞期もあった。

藤原氏と橘氏の抗争に巻き込まれ、とばっちりを受ける。
一族を存続させるため、奮起する。

中納言・春宮大夫、陸奥按察使・持節征東将軍、鎮守府将軍など重要な役職にもつく。

 

赴任先:越中

 

 

『万葉集』大伴家持の代表作は?

大伴家持の最大の功績は『万葉集』の編さんをおこなったことです。
作者(編者)ですから、当然大伴家持自身の歌もたくさんのっています。

その数なんと、473首。
全部で4516首なので1割以上が大伴家持の歌なんですね。

 

春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ美人(をとめ)

春設(ま)けて物悲しきにさ夜更けて羽振き鳴く鴫誰が田にか食(は)む

 

万葉集の現代語訳でおすすめの本はこちらです。

 

 

 

赴任先でのさみしさをバネに才能を開花

越中赴任中(左遷だという説もあります。)の5年間は、歌人としての大伴家持の絶頂期でした。
都を離れるさみしさもあったでしょうが、一方で緊張感のある人間関係から距離をおけたことが表現力を大きく飛躍させました。

逆境をバネにその才能を開花させ、後の『万葉集』編さんという偉業を成し遂げます。

 

 

 

まとめ

大伴家持の生涯をたどってみました。
その葛藤や苦悩にふれるほどに、ねばり、乗り越え、才能を開花させた人柄に惹かれますね。