ピエール瀧の実家は畳屋!母は看護師で祖父は画家

ピエール瀧さんのご実家は畳屋さんということで、昔の芸名は『畳三畳』や『ピエール三畳』だったんです。
だいぶ、畳ネタでねばったんですね・・・笑

また、ピエール瀧さんの祖父は日本画の絵描きさんだったそうで、駆け落ちした過去があったそうです。
今回は、ピエール滝さんのご家族や生い立ちについてまとめました。

ピエール瀧の本名


ピエール瀧さんの本名は瀧正則(たきまさのり)さんです。

NHKの朝の連続ドラマ小説『あまちゃん』では寿司職人役を熱演しました。
大河ドラマ『龍馬』『いだてん』にも出演しており、今後の影響が気になりますね。

味のある、渋いおじさん。
悪人も善人も見事に演じきる俳優さんですね。

ピエール瀧の所属事務所

ピエール瀧の所属事務所はソニー・ミュージックアーティスツ。
所属している有名なタレントは、徳光和夫、奥田民生、倉科カナ、土屋太鳳、木村カエラなどそうそうたるメンバーです。

 

ピエール瀧の両親


ピエール瀧のご両親の出会いは、お見合いでした。
昭和38年にご結婚され、昭和42年にピエール瀧さんが誕生します。

ピエール瀧さんのお父さんは、若くして父(ピエール瀧さんの父方の祖父)を亡くしています。
そのため、中学を卒業するとすぐに地元の印刷会社に就職しました。
定年までお勤めされ、現在は趣味の絵を描いて過ごされています。

ちなみに、ピエール瀧さんの父方の祖父は日本画家でした。
ピエール瀧さん芸術的才能は、祖父→父→ピエール瀧さん、と受け継がれたものなのかもしれませんね。

一方、ピエール瀧さんのお母さんのさんは、長年看護師をされていた方です。
看護師になったきっかけは、軍人だった父(ピエール瀧さんの母方の祖父)が戦争で足を負傷し、困窮におちいった一家の生活を支えることでした。
その後、結婚・出産を経ますが、40年間同じ病院で勤務し、看護師長まで務められました。

ワーキングマザーの先駆けのような方ですね。

ピエール滝さんはお母さんに、還暦祝いにネックレスをプレゼントしたそうです。
親孝行なエピソードですね。

あれ?ところで・・・ご実家は畳屋さん情報があったのですが、どなたがされているんでしょうねぇ。
ピエール瀧さんのご両親のどちらも、外でお勤めのようですが~。
もしかすると、お父さんのお仕事が途中で畳屋さんに変わったのかもしれませんね。

ちなみに、畳屋さんは代々続く家業ではないそうです。

ピエール瀧の祖父、夢追う画家の駆け落ちエピソード

ピエール瀧さんの父方の祖父は日本画家だったそうです。

小学校を卒業すると、夢を追って実家をとびだし、熊本で生活していました。
展覧会をひらいたり、絵の受注して生活するほどの実力でした。

家賃のかわりに頼まれた絵を描いたりもしていたそうですが、太平洋戦争がはじまると絵の注文はぱたりとなくなり、一家の生活は苦しいものだったようです。

奥様である関本夕子さんとは、熊本の展覧会で知り合いました。
しかし、関本夕子さんのご家族に結婚を反対され、駆け落ちのようなかたちで同居生活をはじめることになります。

ですが、決して幸せな家庭生活ではなかったようでトラブルも多かったようです。
ピエール瀧さんの祖父は40代で結核で亡くなっています。

ピエール瀧の生い立ち

小さい頃のピエール瀧さんは、病弱な男の子でご両親はずいぶんと心配したそうです。

しかし、成長とともにたくましく健康的になり、小学校では野球を始めました。
野球に夢中になったピエール瀧さんは、高校では野球部に入部します。

ここで体育会系の厳しさを痛感することになります。
顔が大きいことをいじられ、「顔」というあだ名で呼ばれたり、なにかと先輩たちから用事を言いつけられ、パシリに使われた、というつらい経験もあったそうです。

甲子園出場にあこがれましたが、夢かなわず、高校三年生のときに阪神タイガースの入団テストを記念受験したそうです。

それだけ、野球に対する思い入れが大きかったということでしょうね。

ちなみに、出身高校は県立静岡東高校で偏差値は64。
成績優秀、文武両道の優等生だったんですね!

 

ピエール瀧の芸能人生、高校卒業後に上京

高校卒業後に上京。
「電気グルーヴ」を結成し、メジャーデビュー。

「Shangri-La」が大ヒットしました。